【源氏m@ster】末摘花【第六帖】を読む

寒い!花冷えってレベルじゃないんですが。
おかげで桜はまだ散らずに目を楽しませてくれていますが、外で花見をする気にはなれません。
皆さんも風邪などひかれませんように。
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それでは、今日は源氏m@ster第六帖「末摘花」を読んでいきます。

まあ、うん。サムネだよね、今回は。
タイトルの「末摘花(すえつむはな)」については、後ほど説明するとして、この帖の時系列について。
この帖は「夕顔」の後、年が明けた頃から始まり、「若紫」と並行してストーリーが展開します。
夕顔と藤壺、そして紫の上への想いで悩んでた頃、という事をふまえて、本編へいってみましょう。

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場面一

思へども
なほ飽かざりし夕顔の露に後れし心地を、
年月経れど、思し忘れず、
ここもかしこも、うちとけぬ限りの、
気色ばみ心深きかたの御いどましさに、
け近くうちとけたりしあはれに、
似るものなう恋しく思ほえたまふ。

(源氏は)どれほど想っても
足りぬほど愛した夕顔が、(自分を残して)露の様に亡くなった時の悲しみを、
時が流れ、年が変わっても忘れる事はなく、
(周囲の女性達といえば)こちら(左大臣家)もあちら(六条)でも、
気位の高さから(源氏と)心が通う事はなく、
(他の女性へ)嫉妬したり(自分の)想いを強く示す事で(源氏への愛を)張り合われるので、
(自分と)近しく心を許した(と思っている)人(夕顔)のことが、
「(他の女性達とは)比べがたく愛しい」と思い出しなさる。
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「夕顔」のラストが秋の終りだったので、それから3〜4か月後といったところでしょうか。
手が届かないものに恋焦がれるのは今も昔も同じ。ニコマス民なら源氏の気持ち、ちょっとわかるのでは?
まあ、だからと言って葵の上や六条御息所を袖にする理由にはなりませんが。
嫁の前で他の女性の事を考えたりしてれば、そりゃ嫉妬もされますって。
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場面二

のたまひしもしるく、
十六夜の月をかしきほどにおはしたり。

(源氏は)おっしゃった通り、
十六夜の月が美しい晩に(常陸の宮の屋敷へ)やって来た。
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相変わらずフットワークの軽い事で。夕顔が亡くなった直後、彼は病に倒れたはずなんですが……。
こんな事してるから、春先に瘧病にかかるんですよ。
ちなみに、ここで手引きをしている女性は「大輔の命婦」と呼ばれています。
源氏の乳姉弟であり、なかなか男性に対して積極的で、源氏とは気が合う間柄だったようです。
源氏が「朧月夜に会いに行くから」と言われて、内心「めんどくさっ」なんて愚痴ったり。
舞台裏で、惟光と仲良くボヤき大会とかしてそうです。
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場面三

その後、こなたかなたより、
文などやりたまふべし。
いづれも返り事見えず、
おぼつかなく 心やましきに……

その後、こちら(源氏)からもあちら(頭中将)からも、
(末摘花に)手紙などを送っておられる様だ。
どちらへも(末摘花からは)返事がなく、
(特に頭中将は)気がかりでイライラするので……
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義兄さん何やってんすか。うーん、この辺の感覚は現代とは違いますねぇ。
あ、もしかして、末摘花を自分のモノにして、源氏を葵の上の所へ向かわせようと……?
いや、ないですね。ないない。
そもそも、頭の中将は引っ込み思案の女性は好みじゃないと、雨夜の品定めで言ってますからね。
やっぱり意地の張り合いなんでしょうね。カッコ悪っ。
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場面四

秋のころほひ、静かに思しつづけて、
かの砧の音も耳につきて
聞きにくかりしさへ、
恋しう思し出でらるるままに、
常陸宮にはしばしば聞こえたまへど、
なほおぼつかなうのみあれば、
世づかず、
心やましう、
負けては止まじの御心さへ添ひて、
命婦を責めたまふ。

秋になり、(源氏は)静かに(末摘花の事を)思い続けていて、
(夕顔の家で聞いた)あの砧(きぬた)を打つ音を
(当時は)耳障りに感じていた事さえも、
(今は)恋しいと思い出されて、
常陸宮(末摘花)に何度も手紙を差し上げているが、
相変わらず一向に返事がないので、
(末摘花の事を)「世間知らずだ」と
不機嫌に感じられ、(更に)
(ここで諦めて、女性との駆け引きに)負けたくないという意地まで加わって、
命婦に(仲介を)催促なさる。
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時は流れて秋。藤壺との逢瀬と、その後の拒絶。そして紫の上を世話していた尼君の見舞いに行っていた頃の場面です。
まぁ、いろいろテンパってますね。女性関係に対して、極度に敏感になってる雰囲気が見えます。
「もう絶対に失敗しないぞ!」って感じでしょうか。若いねぇ……。
砧(きぬた)というのは、洗濯物を叩く太い麺棒みたいな道具で、布のしわを伸ばしたり柔らかくしたりするもの。
衣替えシーズンになると、家々から砧を叩く音が聞こえたそうです。
夕顔が生きていた頃、彼女の屋敷で聞いた音を思い出しているわけですね。
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場面五

かしこには、文をだにと、
いとほしく思し出でて、夕つ方ぞありける。
雨降り出でて、ところせくもあるに、
笠宿りせむと、はた、思されずやありけむ。
かしこには、待つほど過ぎて、命婦も、
「いといとほしき御さまかな」と、心憂く思ひけり。
正身は、御心のうちに恥づかしう思ひたまひて、
今朝の御文の暮れぬれど、なかなか、
咎とも思ひわきたまはざりけり。

源氏は)末摘花の所へ、「せめて「後朝の文」だけでも出しておこうか」と、
(末摘花との事を)気の毒に思われて、夕方に手紙を(従者を介して)贈られた。
雨が降り出して、(常陸の宮の屋敷へ自分が赴くのは)面倒だし、
雨宿り(を口実にしての再びの逢瀬)をする気分には、とてもならなかったのだろう。
常陸の宮の屋敷では、「後朝の文」が届くはずの時刻が過ぎた事に、命婦は、
「本当に(末摘花にとって)気の毒な事になってしまった」と、心を痛めていた。
(一方で)本人(末摘花)は、(昨夜の事を)恥ずかしく思う事で心がいっぱいになっていて、
朝に贈られる筈の「後朝の文」が夕暮れに届けられた事も(それどころではなくて)、
「むしろ、無礼な事だ」と気にしたりはなさらなかった。
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後朝の文」は「きぬぎぬのふみ」と読みます。
当時、男女が一夜を共にする時は、互いの服を重ねて脱いだんだとか。で、翌朝に男性から結婚の申し出をする手紙を
「衣衣=きぬぎぬ」の文、と呼ぶ様になった、という事です。
この手紙は遅くとも昼までに届けるのがマナー。それを夕暮れまですっぽかしたわけですから、源氏のやる気の無さが
見てとれます。
さて、大遅刻したとはいえ、後朝の文を出したという事は……まあ、そういう事です。
源氏は何もせずに帰ったわけではありません。
で、末摘花は恥ずかしくて、マナー違反とか気にしてる場合じゃない、と。
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場面六

夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬに
いぶせさそふる宵の雨かな

夕霧が晴れる(末摘花が心を開く)様子を見せないうちに
ますます気を滅入らせる様に 宵の雨までが降っています
(雲が切れるのを、私はどんなに待ち遠しく思っている事か)
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雨が降ったらお休みで〜♪ って、どこの南の島の王子だアンタは。
ホント、この頃の源氏の贈歌はイマイチ好きになれないなぁ……紫式部さん、わざとやってませんか?
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場面七

晴れぬ夜の 月待つ里を思ひやれ
同じ心に眺めせずとも

長雨(私の心)が晴れない夜に 月の光を待つ人が居る事を思いやってください
貴方が私と同じ気持ちで 空を眺めているのではないとしても
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末摘花の返歌……と見せかけた、女房の歌です。こうした代返は、きっと実際にあった事なんでしょうね。
月光はもちろん光源氏の事。
貴方がめんどくさいと思っていても、私は待っているんですよ?
という歌です。うん、わかりやすい。もっと言ってやれ。
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場面八

御いとまなきやうにて、
せちに思す所ばかりにこそ、
盗まはれたまへれ、
かのわたりには、
いとおぼつかなくて、
秋暮れ果てぬ。
なほ頼み来しかひなくて過ぎゆく。

(源氏は)帝の行幸の準備に忙しく、
本当に恋しく思う女性の所にだけは、
暇を見つけてはお出掛けになったが、
あの辺り(常陸の宮の屋敷)には、
すっかり御無沙汰のまま、
秋が暮れてしまった。
(源氏に)頼り続けた甲斐の無いままに(末摘花の側でも)月日が過ぎて行く。
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「若紫」では、尼君が亡くなった頃の場面。つまり、「せちに思す所」というのは、紫の上の所です。
前帖で見た必死さを思い出せば、そりゃ他の女性どころじゃないよね、といった感じ。
一方、末摘花は「後朝の文」を心の支えに、一途に源氏の来訪を待っている……。
源氏爆発しろ。
帝の行幸については、次帖「紅葉賀」で詳しく紹介されます。
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場面九

からころも君が心のつらければ
袂はかくぞそぼちつつのみ

あなたの心が冷たく辛いので
私の唐衣の袂はこんなにも涙に濡れております
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末摘花の歌。恨み節ですね。
この歌を源氏は「意味がわからない」と言い、命婦は「恥ずかしい」と嘆いているんですが、ちょっと待てと。
あの一言も喋れなかった女性が、苦手だと自覚している歌を贈ってきたんだから、意味を考えろと。
夕顔のストーリーが、あちこちでリフレインして見えます。
源氏も一応フォローのコメントをしていますが、わかってんのかなぁ。
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場面十

懐かしき 色ともなしに何にこの
末摘花を袖に触れけむ

心惹かれる色をしているわけでもないのに なぜ私は
この末摘花に 自分の袖を触れさせてしまったのだろうか
(色の濃い花だと思い手を伸ばしたのだが)
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で、源氏のこの歌です。末摘花とはベニバナの事。ジブリの「おもひでぽろぽろ」に登場した花です。
まっすぐ伸びた茎の末端に咲く花を、開いた端から摘んで染料にする為に「末摘花」と呼ばれました。
源氏は、常陸の宮の姫の「鼻」が赤かった事を紅「花」になぞらえているワケです。これはひどい
ついでに言うと、この時に末摘花が源氏に贈った着物も紅花染め。
その染め方が古臭く、流行遅れのものだったので、その色についてもボヤいている様です。
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場面十一

日のいとうららかなるに、いつしかと霞みわたれる梢どもの、
心もとなきなかにも、
梅はけしきばみ、ほほ笑みわたれる、とりわきて見ゆ。
階隠のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。
「紅の花ぞあやなくうとまるる
梅の立ち枝はなつかしけれど
いでや」と、あいなくうちうめかれたまふ。
かかる人びとの末々、いかなりけむ。

とてもうららかな陽気で、春霞に包まれている木々の梢などに、
「早く花が咲くまいか」と心待ちにしている中で、
梅は蕾がふくらみ、あちらこちらで咲き始めているのが、特に目をひく。
階隠(はしがくし)の傍にある紅梅は、特に早く咲く花なので、もう色づいていた。
(源氏はそれを見て)
「紅い花(鼻)は なんとなく嫌だと思ってしまう
梅の木の立ち枝に咲く花は 好ましいものなのに
やれやれ」と、どうしようもない思いで溜息を吐く。
こうした方々の行く末は、これからどうなるのだろう。
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季節はさらに移り、早春へ。
階隠(はしがくし)というのは、屋敷から庭へ出る階段についてる屋根の事です。
縁側(というと庶民くさいですが)から庭を眺めながらのモノローグという事になりますね。
それにしても、どんだけ赤鼻が気になるのかと。
動画で省略されたシーンでは、源氏は自分の鼻先を赤く塗って、紫の上と遊んだりしてます。
ウケ狙いで自虐とか、なりふり構わなすぎる。それでいいのか源氏……。
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この後、源氏は末摘花の後見人として、最低限の支援は続けていきます。もっとも、それもいずれ途絶えてしまうのですが……。
末摘花の容姿について、原文ではかなり詳細に記されています。はっきり言って、ホメ春香がかわいく見えるレベル。
しかし、彼女の性格や言動の描写を見ると、紫式部はこのキャラクター、けっこう気に入ってたんじゃないかな?と思います。
引っ込み思案で俗世に疎く、なんの特技も無いけれど、一途で貴族の誇りを忘れない女性。
彼女がその後、どうなるのか。それがわかるのは第十五帖の事。まだまだ先ですね。
ではでは、次は第七帖「紅葉賀」にて。