【源氏m@ster】若紫【第五帖】を読む

どうにか体調は回復。やよいのプロデュースも再開できました。

ζ#'ヮ')ζ<約束からずいぶん遅れましたね!

ごめんなさい。しかし、やよいって芯のある子だなぁ……。
見たい動画も山積みになっているので、ゆっくり消化していこうと思います。
.
それでは、今日は源氏m@ster第五帖「若紫」の現代語訳をやっていきます。

本題に入る前に、タイトルの「若紫」について、ちょっと説明を。
若紫とは紫草という花の事。こんな花です。

紫じゃねーじゃん!とツッコみたいところですが、この花の根が紫色の染料になるんだとか。
紫は日本において、もっとも高貴な色。そして「桐」と「藤」の花の色。
源氏にとって、紫は特別な色なのです。

.
.
場面一

瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など 参らせたまへど、
しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、
ある人、「 北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。
去年の夏も世におこりて、人びと まじなひわづらひしを、
やがてとどむるたぐひ、 あまたはべりき。
ししこらかしつる時は うたてはべるを、 とくこそ試みさせたまはめ」など
聞こゆれば、 召しに遣はしたるに、
「 老いかがまりて、室の外にもまかでず」と 申したれば、
「 いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、
御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。

(源氏は)瘧病(わらわやみ)を患いなさって、(治療の為に)様々な呪いや(僧侶の)加持祈祷などをさせてみたが、
効果がなくて、何度も発作が起こったので、
ある人が、「北山の、なんとかいう寺に、すぐれた行者(聖)が居ります。
去年の夏も(病が)流行して、人々が呪いもうまくゆかず困っていた所を、
(聖が)すぐに治してしまったという話を、多く聞きました。
(その病は)こじらせてしまうと厄介ですから、早く(聖の祈祷を)お試しになるとよいでしょう」などと
申し上げるので、(源氏は、聖を)呼ぶ為に(使者を)遣わされたところ、
「(私は)老いて背も曲がってしまい、(お屋敷に出向くどころか)岩屋の外に出る事もかないません」と返答されたので、
(源氏は)「しかたがない。ごく内密に出かけよう」とおっしゃって、
お供として親しい者を四、五人ほど連れて、まだ夜も明けぬうちに出かけられた。
.
源氏は夕顔の終盤でも病気になっていましたが、それとは別の様です。
瘧病(わらわやみ。「おこり」とも読む)とはマラリアに似た病気で、症状は高熱と寒気が交互に表れるというもの。
夕顔の死を間近で体験した直後ですし、源氏も死の恐怖に怯えたんじゃないでしょうか。
「夜も明けぬうちに」というあたりに、彼の切迫した心情が窺えます。
.
場面二

人なくて、つれづれなれば、
夕暮のいたう 霞みたるに紛れて、
かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。
人びとは帰したまひて、
惟光朝臣と覗きたまへば、
ただこの西面にしも、
仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。

(日の長い春に)他に人も居らず、する事もないので、
(源氏は)日暮れ時の深い夕霞に紛れて、
(以前に話題になった)小柴垣(で囲まれた僧房=僧の住居)の方へお出かけになる。
供の者を先にお帰しになり、
惟光と覗いてみると、
(最初に見えたのは)尼だった。(尼君は)目の前にある(僧房の)西側の部屋で、
仏像を据え、お勤めをしているのだった。
.
清げなる大人二人ばかり、
さては童女ぞ出で入り遊ぶ。
中に十ばかりやあらむと見えて、
白き衣、山吹などの 萎えたる着て、
走り来たる女子、
あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、
いみじく生ひさき見えて、
うつくしげなる容貌なり。
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、
顔はいと赤くすりなして立てり。

(尼君と共に)小綺麗な装いの女房が二人ほど居り、
他には女の子達が 僧房から出たり入ったりして遊んでいる。
その中に、年の頃は十歳くらい、
白い袿(うちぎ)の上に、山吹襲(やまぶきがさね)などの、着慣れた様子の上着を着て、
駆けてきた女の子は、
それまで見た大勢の子供達とは比べものにならず、
将来がとても楽しみに思える、
可愛らしい顔だちである。
(その子は)髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、
真っ赤にした顔を手でこすって立っている。
.
入院中って、とにかくヒマなんですよねぇ。わかるぞ源氏。
「人なくて」と言ってますが、僧侶や家来は源氏にとって、話相手としては不足なんでしょうな。
女性じゃないし。
しかし女の子を見るなり「将来が楽しみ」って……ああそうか、「ティンときた!」ってやつですね。
.
ここでお伴をしている「惟光」という人物について。
前帖の「夕顔」から登場していましたが、彼は源氏の乳兄弟。側近中の側近です。
源氏から色々と無理難題を吹っ掛けられる役なんですが、ただの苦労人じゃないのが面白い。
例えば「夕顔」では、夕顔の素性を調べる為に彼女の女房を口説き落とし、ちゃっかり恋仲になったり。
それでいて源氏の恋患いについて「ぶっちゃけ勘弁してくれ」とかボヤいたりして、良いキャラしてます。
.
場面三

生ひ立たむ ありかも知らぬ 若草を
おくらす露ぞ 消えむ空なき

これからどの様に育つのか 将来の定まらない 若草の様な子(紫の上)を 
(私は)後に残してゆく事になる 露の様に消えるにも(心配で)消えられぬ思いです
 
初草の 生ひ行く末も 知らぬまに
いかでか露の 消えむとすらむ

初草(様な紫の上)の 行く末を 見届ける事のないままに
なぜ露である貴女が 消えようとなさるのですか
.
余命が短い事を悟っている尼君が、自分を儚い露に例えて詠んだ歌と、女房の返歌。
「空蝉」でも「露=儚い」という例えは出てきました。
女房はそれを受けて「露は若草を育てる為に必要なのに、消えるなんてとんでもない。長生きしてください」
と言っているワケです。
そして、そんなやり取りを見聞きしている源氏。彼が紫の上の「生ひ行く末」となるんですね。
よくできた話です。
.
場面四

げに、いと心ことによしありて、
同じ木草をも植ゑなしたまへり。
月もなきころなれば、
遣水に篝火ともし、
灯籠なども参りたり。
南面いと清げにしつらひたまへり。
そらだきもの、
いと心にくく薫り出で、
名香の香など匂ひみちたるに、
君の御追風いとことなれば、
内の人びとも 心づかひすべかめり。

なるほど(僧都の言う通り)、(僧房の庭は)特別に風流な作りがされており、
(都の風雅な庭と)同じ様な木や草を植えてあった。
月もない頃なので、
水路(の周り)に篝火を灯し、
灯籠などにも火を入れてある。
(僧房の)南側の部屋は、(源氏の為に)とても小奇麗に整えてある。
どこか別の場所で焚かれた香の匂いが、奥ゆかしくほのかに香ってきて、
(部屋自体にも)名香の香りなどの、良い匂いが満ちているところに、
源氏が訪れた事で(彼の香りも)追い風の様に加わって格別に趣深くなり、
屋敷の人々も気を使ったことだろう。
.
源氏が治療に訪れている事が周囲にバレてしまい、彼をもてなす為に僧都が自分の僧房に案内するシーン。
直前に僧都による庭の説明があるので「げに=なるほど」で始まってるわけです。
僧侶の住まいだからという事もあってか、香の描写が細かいですね。
いくらいい匂いでも、あまり強いと酔いそうでちょっと……。
.
場面五

御迎への人びと参りて、
おこたりたまへる喜び聞こえ、
内裏よりも御とぶらひあり。
僧都、世に見えぬさまの御くだもの、
何くれと、谷の底まで堀り出で、
いとなみきこえたまふ。

(源氏を)迎える人々が(北山に)参上し、
源氏の病が癒えた事にお祝いを申し上げ、
内裏(帝)からもお見舞いの使者が来た。
僧都は、世間では珍しい果物を、
あれこれと、谷の底から採ってきては、
(迎えの人々を)おもてなしなさる。
.
僧都さん頑張りすぎ。山中の僧院には来客も少ないでしょうから、テンション上がっちゃったんでしょうか。
この場面で、源氏は歌を詠んでいます。
宮人に 行きてかたらむ 山桜 風よりさきに 来ても見るべく
宮中の者に言って聞かせましょう (この地の)山桜の美しさを
(花を散らす)風が吹く前に ここを訪れ見る様にと
.
この歌をふまえて、次の場面へ。
.
場面六

面影は 身をも離れず 山桜
心の限り とめて来しかど
夜の間の風も、うしろめたくなむ

山桜の様に美しい(紫の上の)面影が 私の傍を離れません
私の心は全て (紫の上の傍に)留めてきたけれど
夜風に花が散るのではと 心配でならないのです
.
源氏の歌。先の和歌で美しさを称えた、北山の山桜に紫の上を重ねて詠んだ和歌です。
花が散るというのは、紫の上が別の誰かに引き取られるという事の例えですね。
拾遺集にある和歌の引用だそうです。
.
場面七

嵐吹く 尾の上の桜 散らぬ間を
心とめける ほどのはかなさ
いとど うしろめたう

嵐が吹き抜ける 山の尾根にある桜の花が 風に散るまでの僅かな間だけ
心を留めなさるとは (源氏の想いは)気まぐれな恋なのでしょう
(そう考えると)かえって心配になってしまい……(承諾する事はできません)
.
尼君の返歌。花が散ったら桜への興味もなくなるのですか?その程度では困ります……という内容。
これは拒絶しているワケではなく、「もっと本気を見せてください」という駆け引きです。
この後も何度か和歌の交換があり、源氏は想いを届け続けるのですが、次の場面で急展開が。
.
場面八

藤壺の宮、悩みたまふことありて、
まかでたまへり。
上の、おぼつかながり、
嘆ききこえたまふ御気色も、
いといとほしう見たてまつりながら、
かかる折だにと、心もあくがれ惑ひて、
何処にも何処にも、まうでたまはず、
内裏にても里にても、
昼は つれづれと眺め暮らして、
暮るれば、王命婦を責め歩きたまふ。

藤壺の宮が、体調を崩されて、
(宮中から実家へ)お帰りになった。
帝が、(藤壺の様子を)心配なさり、
お嘆きになるご様子も、
(源氏は)「本当においたわしい」と思いつつも、
「せめてこの様な機会にでも(藤壺に会いたい)」と、(魂も抜ける程に)そればかり想い、
どんな(女性の)所にも全くお出かけにならず、
宮中でも自宅でも、
昼間はぼんやりと物思いに沈み、
夕暮れになると、王命婦藤壺の世話役)に(逢引を)せがまれる。
.
「心の全てを紫の上の傍に」とか言っといて、これです。
源氏にとって藤壺は、他の誰にも代え難い女性なんですね。
結局、王命婦の手引きでふたりは一夜を共にする事になります。夏の夜の、短い夢。
.
場面九

見てもまた 逢ふ夜まれなる 夢のうちに
やがて紛るる 我が身ともがな

今宵は(夢が叶い)逢う事ができても この様な夜は滅多にないのでしょう 
このままこの身を (藤壺と自由に逢う事の出来る)夢の中へと紛れさせてしまいたい
.
世語りに 人や伝へむ たぐひなく
憂き身を覚めぬ 夢になしても

後の世まで 人は語り継ぐ事でしょう この上なく辛い私の事を 
例え覚める事の無い 夢の中の出来事だったとしても(許されない事です)
.
藤壺との逢瀬を「夢が叶った」と喜びつつも、所詮は夜が明ければ消える夢にすぎないと嘆く源氏。
そして、帝を裏切った事を恐れ、自身の身の上を憂える藤壺
更に、この一夜が夢などではないという事が、藤壺の懐妊によって示されます。
源氏自身の犯した過ちにより、今度こそ手の届かない存在になってしまった藤壺
彼の想いは捌け口を求める様に、再び紫の上へと向けられていきます。
.
場面十

忌みなど過ぎて 京の殿になど聞きたまへば、
ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり。
いとすごげに 荒れたる所の、人少ななるに、
いかに幼き人恐ろしからむと見ゆ。
例の所に入れたてまつりて、少納言
ありさまなど、うち泣きつつ聞こえ続くるに、
あいなう、御袖もただならず。

(尼君が亡くなってから日が経ち)忌みなどが明けて (紫の上が)京の屋敷へ戻ってきたと耳にしたので、
(源氏は)少し日をおいて、ご自身で、お暇な夜に出かけられた。
(目当ての屋敷は)実に恐ろしいほど荒れていて、住む人も少ないので、
「小さい子供にとって、ここはどんなに怖く感じられることだろう」と思われる。
以前に尼君を見舞った時の部屋に(源氏を)お通しして、少納言(紫の上の乳母)が、
尼君が亡くなられた時の(紫の上の)様子などを、涙ながらにお話しすると、
(源氏も)どうにもならず、袖さえも濡らすほど涙を流した。
.
この屋敷は尼君の夫、按察使大納言(あぜちのだいなごん)のもの。
主人が亡くなって後、ずっと放置されていたので荒れていたんでしょうね。
この場面、源氏が惟光を伴わず、自分で出向いているのがポイントでしょうか。あまりにも本気すぎる。
.
場面十一

なごりも慰めがたう泣きゐたまへり。
行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、
ただ年ごろ 立ち離るる折なうまつはしならひて、
今は亡き人となりたまひにける、と
思すがいみじきに、幼き御心地なれど、
胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、
昼はさても紛らはしたまふを、夕暮となれば、
いみじく屈したまへば、
かくてはいかでか過ごしたまはむと、慰めわびて、
乳母も泣きあへり。

(紫の上は)訪問していた父親が帰った後の耐えがたい寂しさに 泣き続けていらっしゃった。
(彼女は)この先、自分がどうなるかなどは解っておらず、
ただ「(尼君とは)ずっと離れることなく長年一緒で(あったのに)、
今はお亡くなりになってしまったのだ」と、
思うのが悲しくて、幼心にも、
胸がふさがれる様で、いつもの様に(楽しく)遊んだりもせず(に過ごしている。)、
昼間はそれでも気を紛らせているが、夕暮時になると、
ひどく気が滅入ってしまわれるので、
「このままでは、今後(紫の上が)どの様に暮らしてゆく事になるか」と、
(心配で)慰める事も出来ず、
乳母(小納言)も一緒に泣いていた。
.
紫の上の父、兵部卿の宮(藤壺の兄)が屋敷を訪れ、彼女を引き取る旨を伝えて帰った後の場面。
紫の上にとっては大人の都合なんてどうでもよく、ただ尼君を失った事が悲しくてならないんですね。
その無邪気な純粋さが、周囲の大人たちの涙を誘う。切ないシーンです。
.
場面十二

ねは見ねど あはれとぞ思ふ武蔵野の
露分けわぶる 草のゆかりを

まだ貴女の事を全て知っているわけではないけれど 愛おしく思っています 
露が邪魔をして近づけない 武蔵野の紫草に縁のある 貴女の事を
.
源氏の歌。「ねは見ねど」は紫草の名の由来である「根」であり、「寝(男女的な意味で)」でもあります。
10歳の女の子に、なんて歌を見せるんですかアンタ。
「近づけない紫草」は、もちろん藤壺の事。紫の上は藤壺の姪なので「ゆかり」が深いわけです。
この歌は、紫の上が書の練習をする為の手本として源氏が書いた「武蔵野といへばかこたれぬ」という一節に添えられたもの。
これは古今和歌六帖にある和歌からの引用です。
知らねども 武蔵野といへば かこたれぬ
よしやさこそは 紫のゆゑ

何故か武蔵野というと想い出されて悩ましい 
それはきっと その地に生える紫草が 貴女に縁のあるものだから
.
これを受けて紫の上は
かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかな
いかなる草の ゆかりなるらむ

「想い出す」と言われても その理由を知らないので 気になります
私と若紫の縁とは どの様なものなのですか?
.
と詠んだわけです。紫の上にしてみれば、自分と藤壺の関係なんて気にした事もないでしょう。
まして、源氏が藤壺に想いを寄せている事など知る筈がありません。
疑問を素直に歌にしつつ、源氏の歌をきちんと受けているあたりが「センスがいい」という事でしょう。
.
さて。
以前に紹介した「雨夜の品定め」で「無垢な少女を思い通りに育てれば、理想の妻になるのでは」という話題が出ました。
それを実践しようという源氏ですが、そううまくいくでしょうか?
この源氏と紫の上の関係について、紫式部は次の様に評しています。
こよなきもの思ひの紛らはしなり
この上ない憂さ晴らしの相手である
.
所詮、藤壺への思慕を忘れさせる為の「憂さ晴らし」……痛烈ですね。
そんな紫の上ですが、作者「紫式部」の名の由来になったのも、また彼女だと言われています。
彼女がこれからどんな女性に成長していくのか、要チェック。
ではでは、次は第六帖「末摘花」にて。あの人(?)が登場しますよ。乞うご期待。