【源氏m@ster】紅葉賀【第七帖】を読む

私の周囲では風邪が猛威をふるっています。どうやら咳と熱が主な症状みたい。
みんなゴホゴホやってる中で何故か私だけ無事なんですが、原因については気にしない方向で。
どうぞ皆さん、体調管理には気をつけて。
風邪でぼやーっとした頭でニコマスを見ても、面白くないでしょうから。
アイドルマスター 「風邪ひいてばたんきゅー」

作:まいなP
はやくなおるといいねぇ……うつさないでね。
いや、でも春香さんが看病に来てくれるなら、アリかな。
.
さて、そんなこんなで、久しぶりに源氏m@sterを読んでいこうと思います。
【源氏m@ster】紅葉賀【第七帖】

作:くるわP
今回の帖では、原作に登場する人物がひとり省略されています。
それほど重要な人物ではないのですが、エピソード自体は笑えるので、ここで軽く補完していくつもり。
それではいってみましょう。第七帖「紅葉賀」(もみじのが)。

時系列的には「末摘花」の後半、源氏18歳の秋からスタートします。

.
.
場面一

朱雀院の行幸は、神無月の十日あまりなり。
……主上も、 藤壷の見たまはざらむを、
飽かず思さるれば、試楽を御前にて、せさせたまふ。
源氏中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。
片手には 大殿の頭中将。
容貌、用意、人にはことなるを、
立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。
入り方の日かげ、さやかにさしたるに、
楽の声まさり、もののおもしろきほどに、
同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり。
……おもしろくあはれなるに、 帝、涙を拭ひたまひ、
上達部、親王たちも、みな泣きたまひぬ。

(帝の)朱雀院への行幸は、神無月の十日過ぎである。
帝も、(身重の)藤壷が(行幸の様子を)御覧になれないのを、
残念に思われたので、(舞楽の)予行演習を御所の清涼殿において、催された。
中将であった源氏は、青海波を舞われた。
もうひとりの舞手は、左大臣家の頭中将が演じられた。
(頭中将は)外見も、その内面も、他の人よりも秀でたものであるが、
(源氏の横に)並んで立った時には、やはり桜の傍に立つ深山木(みやまぎ)の様に、源氏を引き立てるばかりだ。
西に沈み始めた陽の光が、鮮やかに差し込んでいる時に、
演奏の音色が高まり、舞もひときわ盛り上がりを見せた事もあり、
同じ青海波の舞であっても、(この時に源氏が見せた)足の運びや、その面持ちは、またとない見事なものだった。
……(源氏の舞が)美しく心を打つものだったので、帝は、涙を拭いなさり、
上達部(上位の貴族達)や、親王たちも、みな涙を流された。
.
朱雀院というのは、上皇天皇を退位した皇族の御所の事です。
桐壺帝が先の天皇を訪問する際に、いろいろとイベントを企画しているワケですね。
で、それに藤壺が参加できないので、雰囲気だけでも味わってほしいと、自宅の庭先でリハーサルをした、と。
……まぁ、なにしろ帝ですからね。何してもいいんでしょうけど、相変わらず空気を読むのは苦手の御様子。
ところで、ここで源氏と頭中将が舞ったとされる「青海波」(せいがいは)。
Youtubeに短いながら動画があったので、リンクを貼っておきます。

この煌びやかな衣装と優雅な動き。確かに、生で見たら魅了されそうな気もします。
そして葵上(千早)の兄、頭中将ですが、ここでもハッキリ「引き立て役」扱い。
帝からは「洗練されたプロより趣があって良かった」と褒められていますが、内心面白くないでしょうな。
.
場面二

木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代、
言ひ知らず吹き立てたる物の音どもにあひたる松風、
まことの深山おろしと聞こえて吹きまよひ、
色々に散り交ふ木の葉のなかより、
青海波のかかやき出でたるさま、
いと恐ろしきまで見ゆ。

背が高いモミジの木の下で、四十人の垣代(かいしろ=楽師)の奏でる、
言葉にならないほど見事な演奏と、響き合っている様に松を鳴らす風が、
まさに深山(みやま)おろしの様に吹き乱れ、
(その風によって)色とりどりに乱れ散る紅葉の間から、
(源氏の)青海波が輝くばかりに舞い出る様子は、
実に恐ろしい程の美しさを見せていた。
.
そしてイベント当日。この宴がタイトルの「紅葉賀」です。
深山颪(みやまおろし)というのは、山奥から吹いてくる強風の事。
ただの風ではなく、趣と恐ろしさを含んだ風、みたいなイメージですかね。
帝はリハーサルで源氏が見せた舞があまりにも見事だったので、
「源氏の舞マジやばい。物の怪を呼びそうだから、周りの寺で御経を読ませようぜ」
と提案。結果、妖怪が出ない代わりに、自然現象まで味方につけての神がかり的な演舞となりました。
この夜、源氏は更に昇進。頭中将も昇進しますが、官位は源氏の一個下です。
妹の婿に、常に先を歩かれる彼の心中は、どんなものでしょうかね。
.
場面三

二月十余日のほどに、
男御子生まれたまひぬれば、
名残なく、内裏にも宮人も
喜びきこえたまふ。

二月十日過ぎのころに、
皇子がお生まれになったので、
(源氏の)心配もすっかり消えて、宮中でも(藤壺の実家である)三条宮家の人々も
喜びの声を申し上げなさる。
.
藤壺の出産は二月中頃。ああ良かったね、という記述……なんですが、それだけではありません。
十月十日という言葉がある通り、藤壺は四月ごろに源氏と一夜を過ごし、そこで子を宿しています。
(旧暦では四月は夏なので、若紫での記述とは矛盾しません)
ところが、それよりずっと前に、彼女は体調不良により、宮中から実家へ退いているのです。
つまり、皇子が帝の子だとするなら、明らかに勘定が合わない。
そこで王命婦藤壺の世話役)達は、出産時期のズレを「物の怪の仕業」として誤魔化したわけです。
源氏が出産の遅れではなく、子の出自に悩んでいたのは、こういう背景があったから。
彼にしてみれば、藤壺の子は二月に誕生するのが当たり前なんですね。
.
場面四

よそへつつ 見るに心は なぐさまで
露けさまさる 撫子の花

.
袖濡るる 露のゆかりと 思ふにも
なほ疎まれぬ 大和撫子

.
若宮誕生後に交された、源氏と藤壺の贈答歌。まずは源氏の歌から見ていきます。直訳するとこんな感じ。
なぞらえて見ても、私の心は慰められず
撫子の花に乗る露に 涙までもが加わる程です
.
さて、源氏は何を「なぞらえて」いるのでしょうか。
まず、なでしこは「撫子」という字があてられている通り、愛おしい子をあらわす言葉として好んで用いられます。
つまり、撫子を若宮になぞらえ「この花を私と貴女の子と思い、慈しんでみても慰めにならない」と嘆いている、と。
で、この歌にはもう一つの意味があるのですが、それを考えるには直前の場面が重要になります。
帝が源氏に若宮を見せるシーン。実はこの時、若宮は帝が抱いており、源氏の傍へわざわざ赴いているのです。
藤壺は帝と共に居るのですが、源氏に近づく描写はありません。
つまり、源氏から見ると、若宮の方が藤壺より近くに居たワケです。しかも、帝の公認で。
そして、帝の腕の中で、若宮は無邪気な笑みを源氏に向けます。藤壺が二度と見せてはくれないだろう笑顔を。
というわけで、この歌の2番目の意味は、次の様になります。
(撫子の様な)若宮を貴女となぞらえて見ても 貴女への想いが慰められる事はなく
私は更に涙にくれるばかりです
.
愛しい人との間に生まれた子。しかし親と名乗る事は許されず、想いは乱れるばかり……。
自業自得と言えばそれまでですが、これは源氏、苦しいでしょうね。
ちなみに「夕顔」の帖「雨夜の品定め」において、頭中将が夕顔の事を「撫子」と呼んでいます。
もしかしたら、源氏はその事をも想い出しているのかもしれません。
そして、そんな歌を受けての、藤壺の返歌。これもまた、二つの意味をとる事が出来ます。
(貴方の)袖を濡らす 露と縁のある花と思っても
この大和撫子は やはり疎ましく思われるのです
.
夕顔の帖でも出てきましたが、露は光と縁のある単語。
泣き濡れる源氏の事を想ってはいますが、犯した罪を思うと撫子=若宮を疎まずにはいられない……。
これがこの歌の主流な解釈だそうです。しかし、命を賭して産んだ我が子を「疎ましい」というのは母の心情としてどうでしょう?
どうも違和感を感じるので、私としては別の解釈を推したい所です。それがこちら。
(私が)袖を濡らして見る花を その上に乗る露と縁があると思っても
やはりこの大和撫子を 疎ましく思う事はできません 
.
源氏との罪によって授かった子。その事を思うと泣かずには居られないけれど、それでも我が子は愛おしい……。
二人の関係を象徴するように、このふたつの歌は非常に複雑です。実に悩ましく、そして美しい。
.
ここで幕間。
省略されたキャラクター「源典侍」(げんのないしのすけ)と源氏、そして頭中将のエピソードが挿入されます。
典侍は御歳60になろうかという女性。身分も教養も高く(なにしろ姓が「源」ですからね)、若い頃から
キャリアウーマンとして知られたそうですが、困った事に大の男好き。
今でもラブラブな恋人(修理大夫)が居る上に、若い男性をひっかけているという、すごいヒトなのです。
で、源氏はそんな源典侍に興味を持ち……まぁ、あとはいつものパターン。
最初にこの場面を読んだ時は、さすがに「ねーよwww」と思ったんですが、ここまでの流れを考えると、源氏の事、
ちょっとわかる気がするんですよね。
たぶん、源氏は子供が怖かったんですよ。もっと言えば、自分の子が産まれるのが怖かった。
年頃の女性と逢瀬を重ねれば、当然、そういう事になるわけで……藤壺と若宮の事が頭から離れない源氏にとって、
別の女性との間に子を成すのは、なるべく避けたかったんじゃないでしょうかね。
だから、その心配が無い(なにしろ60歳ですから)源典侍に、フラフラと近づいてしまったのかもしれないなぁ、と。
ここで終わってれば、この話も笑う要素はないんですが、ここに頭中将が割り込む事で、事態が一変します。
源氏と源典侍、二度目の(!)逢瀬の夜。たまたま二人を目撃した頭中将は、頃合いを見計らって現場に突撃します。
寝起きレポーターかアンタ。
源氏は最初、彼を源典侍の恋人と勘違いして屏風の後ろに隠れる(かっこ悪い)のですが、なんと頭中将が抜刀、
隠れていた源氏を引っぱりだします。
ここで源氏も相手の正体に気付いて反撃。頭中将の腕を思いっきりつねります(かっこ悪い)。
しまいには、互いに服を引っ張り合い、脱がし合い……ってこれ、ガチムチパンツレスリングじゃん。
あぁん?最近だらしねぇな?
結局、二人ともボロボロになって帰宅。以後、事あるごとに二人はこのネタで盛り上がったのでした。めでたしめでたし。
という話です。なんだこれ。
一応、頭中将と源氏の競争意識を描いたエピソードっぽいんですが……。
もっとこう、他に書きようが無かったんですかね。
.
場面五

七月にぞ后ゐたまふめりし。
源氏の君、宰相になりたまひぬ。
帝、下りゐさせたまはむの御心づかひ近うなりて、この若宮を坊に、と
思ひきこえさせたまふに、
御後見したまふべき人おはせず。
御母方の、みな親王たちにて、
源氏の公事しりたまふ筋ならねば、
母宮をだに動きなきさまに
しおきたてまつりて、
強りにと思すになむありける。

七月には、(藤壺が)中宮になられた様だ。
源氏は、宰相におなりになった。
帝は、近く東宮(弘徽殿の女御の子)に譲位しようという思われて、この若宮(藤壺の子)を東宮に、と
お考えになったが、
その子の後見人として相応しい者がいらっしゃらない。
母方(藤壺の親族)は、みな皇族で、
彼らが(東宮の後見人として)政治に関わる事は許されないので、
(帝は)「せめて母宮(藤壺)だけでも(中宮として)不動の地位につけて、
(若宮の)助けになれば」とお考えになったのであった。
.
何事もなかった様に(動画では何も無かったんですが)シリアスなシーンへ。
藤壺中宮=帝の正妻にと決めたのは、藤壺への愛情だけではなく、
宮中で微妙な立ち位置となる若宮への配慮からだった、という描写です。
身分が低く、頼るものが帝しか居なかった桐壺更衣の存在が、帝を動かしたのかもしれません。
藤壺の親族を後見人にしない判断といい、帝もやる時はやりますね。女心には無頓着ですが。
源氏もさらっと昇進。頭中将はまたリードを許した格好になります。ぐぎぎ……。
.
場面六

尽きもせぬ心の闇にくるるかな
雲居に人を見るにつけても

尽きること無く 心を覆う闇に 何も見えなくなる
雲の上に昇られた あの方を見ると
.
中宮として初めて参内する藤壺。その供として随伴する源氏が、その道中に独り詠んだ和歌です。
この場面の時間は夜。「つきもせぬ」「雲居」という表現から、曇り空で月の無い、暗い夜道である事が想像できます。
雲居というのは帝の居る御所をさす言葉。絶対に手の届かない場所を意味します。
昇進しても、お先真っ暗。源氏の明日はどっちだ。
.
というわけで、第七帖「紅葉賀」でした。
今回は和歌の解釈に手こずり、思いのほか時間がかかってしまいました。
それにしても源氏、迷走してますなぁ。エピソードだけかいつまんで見ると、ホントどうしようもない感じです。
しかし、通しで読んでみると、これはこれで血の通ったひとりの男性に見えてきて、なかなか面白い。
まぁ、千早と真美が居るのに何が不満なのか、とは思いますけどね。
では、次は第八帖「花宴」でお会いしましょう。いおりんの朧月夜いとをかし!