「みんな」の範囲

今日はブログ記事の御紹介から。
アニマスにファンがいない話:はじめてのC お試し版

アイマスは自分がプロデューサーとしてアイドルたちに関わる世界だけれど、アニマスにおいては赤羽根Pという登場人物がその役を担っている。
我々をファンに近い視点に置きながら、物語はファンについてほとんど言及してくれない。
唯一、ファンの存在を実感できたエピソードが、既に引退している律子回のみという皮肉。

現在の私にはクリティカルな話題だったので、少し考えてみましょうか。
最初にお断りしておくと、この記事では、はじC氏の主張とは異なる見解を述べています。
もし不快に思われたら申し訳ありません。
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アニマスにおいて、ファンの力が最も強く描かれたのは、確かに18話。
同時にそれは、普段「プロデューサー」を自称する私達とアイドル達との、現実的な距離を示す話でもあって、そのことが
私達を少し寂しくもさせるのでしょう。
アニマスではファンの事を「プロデューサー(さん)」とは呼ばないから。
まぁそれはおいといて、18話を「唯一、ファンの存在を実感できたエピソード」とするのは、どうでしょうかね。
わかりやすいところだと、14話とか。
黒井社長のいぢわるで雑誌の表紙を奪われ、765プロの空気に陰が差した場面で、何が彼女達を笑顔にしたか。

ファンレターでしたよね。
17話。真のアイドルとしての成長を促すきっかけとなったのは?

「ボク、頑張って王子さま、やってみようと思います。中途半端な気持ちじゃなく、真剣に向き合って」
20話。活動休止中で出演さえ確定していなかった筈の千早を、満場の蒼い光で迎えたのは?

アイドルのスキャンダルに対して過敏なこの御時勢、信じるってのは簡単じゃないと思うんだよね。
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さて、ここまでアニマスに描かれてるファンについて、大雑把に見てきたワケですけど、
これらが後半に集中してるのは、彼女達がアイドルとして急激に売れ始めたからです。
この「状況の急激な変化」が終盤の春香を追い詰めていくことになるのは、皆さんご存じの通り。
14話で皆を救ったファンからの贈り物が23話では山積みになってるシーンはかなり重くて、
彼女達がファンの存在を実感できる機会が、急速に奪われている事を意味している。
春香と美希が抜擢された舞台という仕事も、リハ中は孤独な現場。ファンの顔が見えない。
その春香が執着していた2つの仕事が「生っすかサンデー」と「オールスターライブ」。
「みんなでいっしょに」ひとつになれる仕事だから。
では、この「みんな」とは、765プロのアイドル達のみを指した言葉なのか?
生っすかサンデーは、文字通り生放送の番組で、春香達はスタジオで、ファンと対面する形で収録が行われている。
これは他のTV収録や雑誌取材などには無い要素だ。

春香が失いたくなかったのは、この空間、この距離感だ。

春香がクライマックスで背負い込んだ疑問をあの形で解決してしまったのが決定的だった。
彼女を応援しているはずのファンの存在は、すっかり蚊帳の外だ。

「あの形」というのがどの形を指しているのかは、私には掴めなかったのだけれど。
まずラストシークエンスでの呼びかけ、あれは違う。
あの時点で春香は事務所へ向け走っている。彼女は既に答えを得ており、アイドル達の声はそれを確信に変えたのであって、
あれのみで救われたワケではない。
春香自身が春香を救った、これは間違いではないけれども、それがすべてではない。

公園の子どもたち、あれは実在しているのか、彼女の心象に現れた幻なのかは意見が分かれるところだけど(特に春香似の子)、
春香に「歌って」とせがむ子どもって、彼女のファン以外の何ものでもないと思うのだが、どうだろう。
小春香が春香を導いた、13話ライブ会場での回想。
そこに居たのは765プロのアイドルだけだったか?否。彼女の思い出の中には、共に盛り上がったファンの姿がある。

25話ライブ中のMCで、ファンに向けた言葉。
「後ろの人も、ちゃーんと見えてるからね!」
春香の視界には、ファンの姿は間違いなく写っている。
そして、この「ライブ会場のファンが見える」春香だからこそ、23話での焦りが生まれている。
彼女は何のために奔走していたのか。みんなで一緒に練習する為?それは本来の目的じゃない。
いつからか春香自身が混乱し、手段と目的がすり替わってしまっていたのだけど。
春香の目的は「オールスターライブを成功させる事」だ。
13話において、ライブ会場の「一番後ろまで見えている」お客さんを「あまり盛り上げられなかった」経験を持つ春香。
仕事の幅が広がるにつれて、次第にファンとの距離が離れていくことを感じていた春香。
「みんなに歌を届けたい」と願う彼女にとって、ライブという舞台は絶対に成功させなくてはいけないものだ。
だからこそ、彼女は焦り、全員での練習にこだわり、結果、孤立していった。
春香にとって「みんな」という言葉を適用する範囲は、765プロの仲間達だけに向けられたものではない。
25話ライブ直前の、春香の言葉。
「ファンのみんながいて、765プロのみんながいる」

23話で春香が守ろうとしたものは、とても大きなものなのだ。
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今回取り上げた記事は、タイトルを含めた前半部と、後半の結論が剥離している様に、私には感じられるのだ。
アニマスの世界に、アイドル達のファンは間違いなく存在している。
居ないのはファンではなく「ファンでありプロデューサーである俺という存在」だ。記事本文で書いてある通り。
そこを満たすにはもう「俺をP役でアニマスを作れ」という話になってしまうし、だったらゲームでいいじゃん、とも言える。

そう、彼女たちは最後の最後に「プロデューサーさん、これからもプロデュース、よろしくお願いします」と言うのだけれど、これはいったい、誰に向かっての発言なのかなあ、という。

アニマスという物語の中で考えるなら、この問の答えは「赤羽根P」になる。
それが寂しいと感じるのなら、自分の事を「プロデューサーさん」と言ってくれる「あの子」に会いに行けばいいのだ。
彼女はいつでも貴方を待っている。
そして、私が知ってる「あの子」は、アイドルも、恋路も諦めたりはしていない。
「プロデューサーさんは、今も、そしてこれからも……私にとって……」

ほらね。