【源氏m@ster】桐壺【第一帖】を読む

今日は、以前の記事で取り上げさせていただいた、こちらの作品について。
【ニコニコ動画】【源氏m@ster】桐壺【第一帖】

作者:くるわP
この「源氏m@ster」では、ポイントとなる場面で「源氏物語」の原文が表示されます。
例えば冒頭の「いづれの御時にか、女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに〜」というくだりですね。
原作の持つ雰囲気が出る、良い演出だと思います。
この原文、意味を理解して動画を見ると場面転換がよりわかりやすく、また趣も増すというもの。
「現代語訳が来い」タグのついている回もありますが、コメントで長々と書き加えると、場面によっては画面が煩くなりそうです。
そこで、くるわPのご許可をいただいた上で、うちのブログで原文パートの現代語訳をやってみようかと思います。
実は私自身が古文は得意な方ではなく、動画を見るだけでは理解できない部分があって、ちょっと悔しかったりするので、
この際、改めて源氏物語に触れてみようかなと。

現代語訳は源氏物語の世界 再編集版を参考に、なるべくわかりやすい表現で書くつもりです。
その為、ある程度の追記や省略をしますし、それによって本職の方に怒られそうな間違いをするかもしれません。
もしそういう事があれば、遠慮なく指摘していただければ幸いです。
なお、事前に(元)ウソ告知をご覧になっておくと、登場人物の特徴を掴みやすいかと思います。

では【源氏m@ster】桐壺【第一帖】から。
箱m@sと同じく、詳細は続きからどうぞ。
ちなみに【第一帖】は「だいいちじょう」と読みます。

場面一

いづれの御時にか、女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めきたまふありけり。

どの帝の御代であったか、女御や更衣(という高貴な女性達)が大勢いらっしゃった中で、
たいしてすぐれた家柄ではないが、特に帝から御寵愛された方がいた。
.
おそらく、源氏物語で最も有名な一節。物語の舞台と、登場人物の紹介ですね。
昔話で言うところの「昔々あるところに〜」みたいなものです。
.
場面二

はじめより我はと 思ひ上がりたまへる御方がた、
めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。

宮中に入った時から「自分こそは(帝の寵愛を受けるに相応しい)」と気位を高く持っていた方々は、
(更衣を)不愉快だと見下したり、妬んだりなさる。
.
嫉妬乙。
いつの時代も、人は変わりません。
.
場面三

前の世にも御契りや深かりけむ、
世になく清らなる 玉の男御子さへ生まれたまひぬ。
いつしかと心もとながらせたまひて、
急ぎ参らせて御覧ずるに、
めづらかなる稚児の御容貌なり。

前世でも(帝と更衣の)縁は深かったのだろうか、
世にまたと無い程に美しい男の子までが(更衣を母として)お生まれになった。
(帝は)早く(生まれた子を)見たいとの思いから、
(更衣と子を)急いで参内させて御覧になると、
赤ん坊の顔だちは類稀なものである。
.
はいはい2828。
ここで気になるのは、帝が自分の子供の顔を見る為に、産後間もない桐壺更衣を呼びつけている点。
おいおい自分が行けよって感じですが、まぁ、そういう時代だったんでしょう。
.
場面四

何ごとにも
ゆゑある事のふしぶしには、
まづ参う上らせたまふ。
あるときには大殿籠もり過ぐして、
やがてさぶらはせたまひなど、
あながちに御前去らず
もてなさせたまひしほどに……

どのような事でも
(例えば音楽を聞く様な)趣のある催しがあるたびに、
(更衣を)誰よりも先にお呼びになる。
ある時には(帝は更衣と共に)寝過ごされて、
そのまま(更衣を帰す事無く)そば仕えさせるなど、
むやみと御傍から離そうとせず
御待遇なさっていたうちに……
.
……帝爆発しろ。
そりゃ恨みも買いますって。桐壺更衣も何か言ってやれよと思いますが、次のシーンで、それができないとわかります。
.
場面五

かしこき御蔭をば頼みきこえながら、
おとしめ疵を求めたまふ人は多く、
わが身はか弱くものはかなき有さまにて、
中々なる物思ひをぞし給ふ。

(更衣は、帝からの)深い御寵愛を信じ頼っていたものの、
(彼女を)軽蔑したり、また落度を探したりなさる方々は多く、
また彼女自身は(身体が)か弱く(家柄も)頼りないものだったので、
「いっそ帝の御寵愛を受けなかったなら」などと物思いをなさる。
.
桐壺更衣の家柄の弱さは、繰り返し描かれています。
この時代、身分というものがいかに重要だったか、って事ですね。
かと言って帝から離れる事はできません。立場的にも、心情的にも。
.
場面六

御局は桐壺なり。
あまたの御方がたを
過ぎさせたまひて、
ひまなき御前渡りに、
人の御心を尽くしたまふも、
げにことわりと見えたり。

(更衣の)御殿は(御所の中でも東北の隅にある)桐壼であった。
(帝が)多くのお妃方が待つ御殿の前を
(桐壺へ通う為に)素通りされて、
その何度となく目の前を行き過ぎて行かれる様に、
他の女性達が心を乱し、あれこれと考えるのも
まったくもっともだと思われる。
.
やっと「桐壺」という単語が出てきました。
「桐壺」とは御殿の名前、更衣は身分です。
つまり「桐壺更衣」とは、桐壺という屋敷を与えられた更衣の女性。名前ではないんですね。
.
場面七

そのうらみ ましてやらむ方なし。
その(後凉殿から御殿を移された)方の恨みは、特に強く晴らしようもない。
.
帝の朴念仁っぷりが炸裂。
これにより、桐壺更衣は更に追い詰められていきます。
.
場面八

限りとて 別るる道の悲しきに
いかまほしきは命なりけり

定められた人生と思い 帝と別れるこの道の悲しさにあって 
行きたい(生きたい)と願うのは (死出の道ではなく)私の命でございます
.
源氏物語における、最初の和歌。
和歌はひとつの歌に複数の意味がこめられているので、これが正解という訳はありません。
ここは受け身だった桐壺更衣が初めて「生きたい」と自分の願望をあらわにするシーン。
細かい意味よりも、その心情を汲み取たれたらな、と思います。
.
場面九

「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて
 泣き騒げば、御使も
 いとあへなくて帰り参りぬ。

「夜半を少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」
と(桐壺更衣に仕える者達が)言って泣き騒ぐので、勅使も
酷く落胆して帝の元へ帰ってきた。
.
だから帝は自分で行けと(ry
使いの者が苦労するシーンは、この後も多くある様です。
帝の勅使ですから身分は相応なのでしょうが、ご苦労様。
.
場面十

高麗人かしこき相人曰く
「 国の親と成て、帝王の上なき位に昇るべき相をはします人の、
 そなたにて見れば、
 乱れ憂ふることやあらむ。
 おほやけのかためと成て、天下をたすくる方にて見れば、又その相たがふべし」

高麗人の優れた人相見が(若宮の顔を見て)言うには
「国の親となって、帝王の、最高位につく人相をお持ちの方で、
 そういう方として(若宮の今後を)占うと、
 この方の心は(あるいは国や民も)乱れ憂える事になりかねない。
 朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またこの方の人相とはそぐわない」
.
時は流れて源氏登場。
ここでは占いを通して、源氏が今後たどる事になる運命が暗示されてるわけです。
桁はずれの器を持ってるけど、有能すぎてダメになるタイプである、と。
.
場面十一

世にたぐひなしと 見たてまつりたまひ、名高うをはする宮の御かたちにも、
猶にほはしさはたとへむ方なく
うつくしげなるを、
世の人、光君と聞こゆ。
藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、
「かかやく日の宮」と聞こゆ。

(帝が)「世にまたとない」とお見立てなさり、名高くいらっしゃっる親王(皇太子)の御容貌も、
やはり(源氏の)生き生きとした美しさ、
愛らしさは比べようがなく、
世の人々は(源氏を)「光の君」とお呼びした。
藤壺もまた、帝からの御寵愛も源氏に引けを取らなかったので、
世の人々は(藤壺を)「輝く日の宮」とお呼びした。
.
ここで源氏はついに「光源氏」となるわけです。にしても、親子そろってベタ褒め。
このくだりは解釈が諸説あるそうなので、個人的に一番しっくりきたものを採用させていただきました。
.
第一帖「桐壺」はここまで。あずささんは悲恋が似合う……というのは、褒め言葉にはなりませんね。
幸せになってほしいものです。ではでは、次回「帚木」にて。