「すごろくさん」に「天海春香」について訊いてみた!・回答編2-2

ニコマスブログ「すごろく迷走格納庫 (調整中)」管理人のVinegar56%さんに、アイマスのキャラクター
天海春香」についてきいてみよう!
という企画の、第4回。
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これってどんな企画なの、どんなお話をするの? という方は、先に初回の記事
「すごろくさん」に「天海春香」について訊いてみた!・自己紹介&質問編を、
ここまでどんな事を訊いてきたの?という方は、第2回の記事
「すごろくさん」に「天海春香」について訊いてみた!・回答編1を、
今は何について訊いているの?という方は
「すごろくさん」に「天海春香」について訊いてみた!・回答編2-1
をご覧ください。
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テーマは引き続き、春香動画から感じる「おそろしさ」について。

sugoroku:では、次の段階の話にいきましょうか。
sugoroku:ここまで話してきたことは、ある意味、最初からわかっていたことで。

K_1155:ええ。

前段では春香のモデリング上の差異が及ぼした印象への影響を語ったVinegar56%さん。
ここからは、氏の深層、そして天海春香と彼女のプロデューサー達が作り上げた世界へと潜っていくことになります。
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永遠の物のほか 我より先に
造られし物はなし しかして我 永遠に立つ
汝等ここに入る者 一切の望みを捨てよ


―ダンテ・アリギエーリ「神曲」地獄篇第3歌より
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sugoroku:いや、しかし、私が春香動画に「おそろしさ」を感じていたとすれば、それって一体なんだったのだろう、と。それは私としてもっと考えなければいけないことだと感じました。
sugoroku:たぶんそれは、私にとっての16歳の春香さんを語ることそのものと密接に結びついている。
sugoroku:それで、思い返してみたのです。春香動画を見て、最初に怖かったことってなんだったっけ。

K_1155:魅力という言葉では表現しきれない、「取り落してしまう」(領域の)感覚について。
sugoroku:パッと出てきたのはタクヲPの『サンデイ』。

sugoroku:あるいはsabishiroPの動画作りの軌跡。あるいは、鳩Pの『永遠の嘘をついてくれ』シリーズ。そして「糸の人」kuresho氏の軌跡。
sugoroku:たとえば糸の人の『【天海春香DJ】お耳かして♪ 最終回【関東FM83.0MHz】』http://www.nicovideo.jp/watch/sm7944633ですよ。
sugoroku:55分もある動画。それだけで大概です。何をやっているかというと、なんてことない、春香がやっているラジオ番組、その最終回、その何気ない風景をただひたすら流している。

K_1155:蓄積された春香……とでも
sugoroku:これもあれだ、説明するよりzeit氏の記事を貼った方が早かった。http://blog.livedoor.jp/z6520/archives/1640815.html

タクヲP THE iDOLM@STER 天海春香 「サンデイ」

(2012/02/10権利者削除)
タクヲPニコマスブロガーからニコマスPとなった動画製作者のお一人。
Vinegar56%さんが言及された「サンデイ」は、iM@SMSC3優勝作品。

sabishiroP 春香 灰色の雲が近づいている 【60min】

sabishiroPは2008年5月〜2010年12月まで活動されていた春香派P。
おそらくは、Vinegar56%さんと空気公団の音楽を結び付けた人のひとり。
鳩P 永遠の嘘をついてくれ(連作)

(※リスト制作:( ^ω^)さん)
鳩Pは2007年7月から活動されているニコマスP。
「永遠の嘘をついてくれ」シリーズは、所謂「哀春香」系動画の初期を代表する連作となっている。
糸の人(kureshoさん)【天海春香DJ】お耳かして♪ 最終回【関東FM83.0MHz】

糸の人ことkureshoさんは2009年5月〜2010年5月に活動されていた動画製作者。
メタ的な視線からの765プロニコマスを取り上げ、連作「糸」では当時例を見ない手法での演出に挑戦している。
kuresho氏動画リスト

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ここに挙げられた動画群、どれもこれも一撃KO級のものばかり。
私にとっても特別なものが多く、簡単に言葉にできない思い入れがあります。
共通しているのは、動画単体では完結しない、背景にあるものの大きさ。
アイドルとしての春香を描く事の残酷な美しさ、など。

sugoroku:(この動画自体は、そんな何気ない風景を描写している。)でも、その番組のウラに、長い長いストーリーがあるわけです。そのストーリーにおいて、春香は非常に孤独で追い詰められた精神状態にあって、番組に臨んでいる。
sugoroku:でも、それは読者には見せないわけです。この動画だけ見ている人にウラのストーリーに勘づけ、というのは無理難題に近い。
sugoroku:こんなにも苦しんでいる、こんなにも孤独な春香。でもそれを視聴者に教えない、孤独な春香が誰にも気づかれずに延々と仮面を被っている世界を、55分の時間を費やして延々と見せる。
sugoroku:何をやっているんだろう、この人は。
sugoroku:そうまでして、そうまでして春香が独りで苦しんでいる世界を表現したい、しかもそれを存在するけれども他者には理解されないもの、自分しか気づいていないこととしておきたい。

K_1155:この人、というのは、糸の人、つまり制作者が、という事ですよね
sugoroku:そうです。
sugoroku:春香が好きじゃなかったら、そんなとてつもなく面倒なことをするわけがない。
sugoroku:けれども、一体その「好き」であることの何をどうしたら、こんなものを生み出せるのか。
sugoroku:怖い。この行為をやっている人間が怖い。
sugoroku:でもね、話をひっくり返すようですけれど、私にはわかるんですよ、この人のことが。

こんなものを生みだした人間が怖い
それはまさしく、私が春香動画に感じる感覚です。
いちゲームのキャラクター、16歳の少女、自分が愛し、多くの人に愛されているアイドルの限界を試す様に、あるいは限界など無いことを証明するかのように、
彼女をどこまでも高め、どこまでも追いこんでいく姿勢。
そして、そうした制作者の意図を、常に受け切ってきた天海春香という存在。
私はそれが恐ろしい。今も変わらず。なぜ、こんなことができるのか。
つまり、今の私が立っている位置はここ。この先は、Vinegar56%さんと私が共有できない、氏だけに見える世界。
この先、私は極端に口数が減り、氏の言葉を受けている事、それだけを伝える場面が続きます。
安易に「なるほど」「わかる」などと言ってはいけない、氏が向き合ってきたもの。それについて、私はずっと考えています。

sugoroku:どういう順番で説明しようか。
K_1155:うーん。猛烈に考えていて、まったく反応できていないのが申し訳ない
sugoroku:「糸の人」からちょっと離れて、私自身の話をします。
K_1155:はい。聞いております。
sugoroku:黒春香と白春香、という言葉が、かつてありました。
sugoroku:今となっては、そういう対立軸は存在しない。というより、私が春香のことを考え始めたのは09年、その時点でリアルタイムにそんな対立軸は存在しない。

K_1155:ええ。私の場合はさらに遅れる事になります
sugoroku:でも、この世界を知りたい、と思った人間はどうするか。過去の名作を辿ろうとする。そしてニコ動の動画にはコメントがあり、投稿当時の空気がそのままそこに存在する(ように、見始めたばかりの人間には思えた)。それどころか、その空気のどこまでが過去で、どこからがリアルタイムなのかも、よくわからない。
sugoroku:「黒春香」と「白春香」について、ひとつの典型的な考え方の潮流を示す文章。
sugoroku:おっと、それ以前に、そもそも「黒」は本物の春香を表わしていない、「白」くて可愛い春香をちゃんと見ろ、という、「黒」は春香のために悪、という思想の元に、「白」は生じている、のだと思いますが。
sugoroku:サイレントPhttp://d.hatena.ne.jp/pikokame/20080322
「ただ、これがどちらかでも欠けていたらどうだろう?
俺はここまで深く、春香さんを好きになっていただろうか?
ただの真っ黒な春香さんを好きになれただろうか?
純真無垢な春香さんに興味を持っただろうか?
やっぱり、今の俺の中では白黒、どっちもあって春香さんなのだ。
『元々春香は白い娘!』といわれればそうだが、それだけだとやはり、アイマスガールズの中で無個性として埋没した気もする。
『春香さんは閣下であり、腹の底から真っ黒だ』というのも、また違う気がする。というか一時期の閣下フィーバーで食傷気味だ。
どっちかが欠けてもダメだし、どっちかが突出してもダメ。
春香さんはバランスの取れた状態が一番いいと思う。
だから俺はあんまり黒が勝ちすぎてると白を投下したいし、白が勝ちすぎてると黒を投下したい。
今は白が勝ってると勝手に思ってるから、黒を投下したい。」

sugoroku:最後の方、「白が勝ちすぎてると黒を投下したい。
今は白が勝ってると勝手に思ってるから、黒を投下したい」というのはいかにもこの人らしいところで、そしてサイレントPの名前を出すだけで私は泣きそうだが、それは置いといてw。

K_1155:うんw

白春香
元々は白春香=普通だったはずなのだが、黒春香の面があまりにもクローズアップされ過ぎた為、その反動として「かわいい春香」の動画が登場したというのがきっかけ。白と黒の面が出た事により、それまでの「没個性」という言葉が払拭されたと言っても過言ではない。
しかしながらこの白春香は黒春香あっての物である。黒との対比として極端な善人・清純派イメージの強調や美化が行われ、こっちはこっちで原作の印象から離れがちでもある。あまりにもラブリー過ぎる春香の動画には「驚きの白さ」というタグが付く場合が多い。たまに破壊力の高いものもあり、白でも愚民がひれ伏す場合が多い。

黒春香
黒春香の名称はアーケード版アイドルマスターの時代に遡る。元々、この天海春香はいわゆる「正統派アイドル」の側面を持ち、そのためか「良く言えば平穏無難、悪く言えば没個性的」というイメージが広まっていた。
その後、天海春香役の声優中村繪里子が、アイマス関係のラジオ内で「腹黒い発言」を連発していたため、「春香も実は腹黒いのではないか」とリスナーから言われ始め、それに対し「私は黒春香」「春香は白いよ。真っ白だよ!」と弁明したことから始まる。
その後、同人誌や、同人CD、そしてニコニコ動画でもでこの「腹黒さ」を持たせた春香や、性格が反転したりする春香をモチーフにした創作物が現れ、ついに本家ドラマCDでも性格が反転した春香(ただしアイテムによる強制反転)が登場する。

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両者ともニコニコ大百科からの抜粋。詳細はリンク先でご覧いただくとして。
重要なのは、「視聴した動画上に残る過去のコメントから、投稿当時の空気がそのまま感じられたと思えた」「過去とリアルタイムの境界が曖昧に思えた」という部分。
この「コメントの蓄積による疑似的な一体感」がニコニコ動画の醍醐味であるのは間違いないところ。
ではあるのですが、それがあくまで疑似的なもの、錯覚である事を理解していないと危険であるというのは、いつからか私も心に留めて視聴する様になったポイントです。
サイレントPは07年9月から活動されていた紙芝居系のニコマスP。
現在は活動を停止、制作されたアイマス動画は削除されている。
アイマス紙芝居 魔法の言葉

sugoroku:ネタ、悪、本物でないと攻撃されてきた「黒」。でも、「黒」があったからこそ表現されたもの、「黒」があったからこそ開拓された春香の魅力があり、「黒」も「白」もあってこそ今の春香がある。そして今の春香は「黒」も「白」も包含した、あるいは統合した結果、もっと多様で奥深い存在になっている。「黒」も「白」もどちらも欠けてはならない軌跡だった。
sugoroku:というのが、春香派にとどまらず、ある時期からの、ニコマスの春香についての認識の枠組みとして、強い説得力を持っていると思います

K_1155:今すごくカイザーPの動画を見たい気分
sugoroku:でもね。
K_1155:ええ。
sugoroku:私はいきなり見るわけです、たとえば、07年初期のコメントがいっぱい残ったぷげらっちょPの春香コミュ動画を。
sugoroku:そこでは、誰もコミュの中の春香なんか見てない、と思うわけですよ。

K_1155:「エア友達」とか「マーメイの罠」とか
sugoroku:そうそう。
sugoroku:陰では腹黒いことを考えているに違いない、とか、この友達はでっちあげの架空の存在に違いない、とか、およそ動画そのものをまともに見えていたら出てきようがないことを「コメントしているみんな」がネタにして春香を笑い者にしている。
sugoroku:こんなものが、それも春香のために必要な軌跡だったんだ、と思えるだろうか。

K_1155:思い出はみんな美しいと言ったのは、ぼのぼのの作者いがらしみきおだけれども。
sugoroku:という順番で説明するのは、前後関係がかなり混乱していて、もちろん初めに動画を見て、なんてひどいコメントで埋まっているんだ、と憤っている私は、まだ春香についてどう認識が変遷してきたか、なんてことは知らないわけですが。
sugoroku:でも、その通りで、>「思い出はみんな美しい」 それは後々までしこりとして残ります。だからと言って、これを認めていいのか。
sugoroku:そして、09年当時の私に見えているものは、もっと狭い。

K_1155:そうね。美希や千早のコミュが最初のきっかけと仰った、そことは明らかに異なる空気があるし。
sugoroku:コミュの中にいる”本物の、真実の春香” を見ようとせず、ただただネタにして笑い者にしている集団が、目の前にリアルタイムで存在していて、ニコマスを形作っているように思える。その中でたった独り、私だけが真実の春香を見ているのだと感じる。
sugoroku:ところでこの話、私が抱いている感情は、私がどうやって春香を好きになったか考えたとき、なにか変だと思いませんか?
sugoroku:だって、私が春香を好きになった動画って、『あっというま劇場』ですよ。

K_1155:そう。そうなんだ。

ここで再び、ぷげらっちょPが登場しました。
第一問の際に関連動画として添付した各コミュに寄せられたコメントを、御覧になった方はおられるでしょうか?
それはもう、いまでは考えられない様な、冗談ではすまされない様な言葉で溢れています。
この「ニコマスの現状に対する怒り」「アイドルの真実の姿に対する信仰」という感情は、間違いなく今も、その対象や形態を変えつつも、ニコマスの中に渦巻いています。
「俺の○○○をこんな風にしやがって」

しかし、氏は気付くのです。自身を省みた時、その道程のはじめに出逢ったものは、何だったか。
Vinegar56%さんが、ひたすらに「真実の春香」を追いかけていった先で、ふと振り返る事ができた理由。
それはやはり、氏の中に生き続けている、多くのことば達の存在があったのではないでしょうか。
氏は私への質問編で、自身の弱点を「原典とちがう言葉で要旨をまとめようとして、原典から乖離したり自分の語彙の偏りに足をとられたりする」と
語っておられますが、外部へ出力されない部分、入力の段階においては、むしろ原典を損なう事無く受け取ろうとする姿勢が強くあるのではないか。
それ故にこそ、動画上のコメントに対してもダイレクトに接触し、その意味を考えずにはいられなかった。
私には、そう思えます。

sugoroku:他人から見れば、ノベマスにおけるネタ系春香の総本山みたいな動画、”本物”からは似ても似つかない筈のもので、春香を好きになっているんですよ。
sugoroku:でもね、恐ろしいことに(自分で言うか)これは、私の中ではまったく矛盾だと思われていないんですよ。
sugoroku:何故ならば、ストレートPの春香は、魅力的で、大事に扱われていて、私にとって価値ある存在だから。
sugoroku:よく言われる言葉で言えば、「この人の動画はちゃんとアイマス愛を持って作られた動画だ」ということです。

K_1155:うまい言葉が出てこないけど。ネタではあるけれど、ただ消費される素材ではないというか
sugoroku:そう、そう思っていた。
sugoroku:でもね、その「ただ消費している動画」と「していない動画」の境界線って一体どこにあるのさ、という話になるわけですよ。
sugoroku:要するに、それは私は決めているわけです。これは私が好きだから、ちゃんと愛がある動画。これは私の好みに合わないから、ネタにしているだけに違いない。
sugoroku:なにしろ「愛」なんだから、そこに論理はいらない。

K_1155:そうですね。主観の世界です。
sugoroku:春香派の、というか、原理主義の、というか、好きになることの恐ろしさとして。
sugoroku:アケマスから春香一筋のプロデューサーが、ニコマスを見て、こんなものは春香でもなんでもないと言う。これなら話はわかりやすい。

K_1155:はい。
sugoroku:でもね、そうじゃないんです。そうである人もいたかもしれないが、そうでないこともまたたくさんある。ニコマスがあったからこそ春香を知り、ニコマスでこそ春香を好きになった人が、ニコマスには”本物の春香”がいない、と言ってニコマスを憎む。
sugoroku:私がそうでした。
sugoroku:だから、私は、春香派の中にそういう人が他にもいることを知っている。見れば、わかる。

アイマス愛」。
私がアイマス、あるいはニコマスについて書こうとする時、もっとも慎重になる言葉。
愛とは、言ってしまえばその人だけのもの、他者が理解することは叶わない心理です。
でありながら、人はしばしばそれを比較し、他者を貶める尺度として用い、それを言い訳に自身の主張を正当化する。
そうして傷ついていく人を、この場で、またそれ以前にも、私は多く目にしてきました。
だから、私は「愛」という言葉で動画を表現する事を避けています。
しかし、目の前にある動画にこめられているもの、その魂を見ようとする時、どうしても無視できないものでもあります。
そして、前段で話した通り、無印春香というアイコンは容易く見る者の心象に侵入し、自身の精神と融合した姿で結像する特性を持っています。
視聴者の中に現れる、その人だけの「本物の春香」。
誰もが見る事のできる動画を起点としながら、決して共有する事のできない偶像。
それが天海春香の恐ろしさである、と。

sugoroku:たとえば、kuresho氏に見えていた世界って、私に見えていた世界と同じだと思うんだ。
K_1155:ここまでのお話を聞くと、非常に納得のいく部分です。プロデュース経験の有無(が動画を見る姿勢に影響するか)、という部分についても
sugoroku:で、話を戻すというかなんというか。
K_1155:ええ。
sugoroku:そういうわけで、動画を見ると、なんでこの人にはこんなことができるんだ、こんなものはとても受け入れられない、と思うわけだけど、そこに至った経緯を想像するとね、なんだ、私と同じじゃないか、と。
sugoroku:タクヲPの動画もsabishiroPの動画も糸の人の動画も、本当に、本当にずっと、私には受け入れ難い存在だったのだけれど、でもね、結局根っこのところでは自分と同じところがあって、彼らを私が憎むのって、鏡に映った自分を憎んでいるようなものなんですね。
sugoroku:逆に、彼らの動画の中で素直にここは凄い、と早くから思えたものは、つまり私にはなくて彼らそれぞれが持っている感性、才能、読解力なんだろうな。

K_1155:ううん、そういう風に繋がるのか。
sugoroku:と、今思いますが。
sugoroku:4年前の私には本当にたくさん憎んでいるものがあって、それは要約してしまえば「”本物の春香”を見ないでネタにする」「春香を孤独にして放置する」の二つの要素に凝縮されます。
sugoroku:その憎悪の側を語らなければ、私にとっての春香を語ったことにならないわけです。私が恐怖していたものは、たぶん私自身の中にある直視したくないものと直結していた。
sugoroku:ということがひとつ。

K_1155:はい。

「私自身の中にある、直視したくないもの」を写しだす春香と、彼女を動画という形で表現し続ける制作者達。
それらを否定しようとして「本物の春香」を追い求めていった先にあった場所は、彼等が見つめていた世界だった。
その事を理解した時、Vinegar56%さんは彼等と、彼等それぞれの春香を理解できたと感じた。
氏の告白は、本当に重く深く、私の中に浸透するものでした。
正直な所、私はこの対談を終えた今もなお、その心境を真に理解できたとは思っていません。
氏が感じていたという憎悪。それは、私が一部のやよい動画に感じるそれと似通ったものではあるだろうけれど、同じではありません。
ただ、苦しみ、悩み、もがきながら考え抜いた先に氏が見出したもの、それが肯定であった事を、私は喜びたいと思います。

sugoroku:ここでまた、次の段階に行きます。長くてすみませんw。
K_1155:いや、これは質問した側の責任ですから。
sugoroku:でも待てよ、私が怖かった動画、わからなかったものって、それだけだっただろうか。
sugoroku:これを考えるには、では、私が抵抗なく真っ先に好きになったものはなんだったか、を考えなくてはなりません。

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そこより我々は、再び星星を見上げた

―ダンテ・アリギエーリ「神曲」地獄篇第34歌・最終節より
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Vinegar56%さんの「闇」を見つめる旅路「地獄篇」は、ひとまずここまで。
次回は「光」を目指し、その中にあった不可思議なるものを探る「煉獄篇」となります。

御期待下さい。