「シン」〜つばめP

つばめPのVRLステージについて、この一週間で何度か書こうとしてみたのだけれど、いつも下図の様になってしまうのでした。

※今週の私。ドラえもんの「こりゃ、だめだ」という一言が的確すぎて痛い。
そんなこんなしているうちに、いくつも読みごたえのある論評があがりまして。
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みた動画 2012/12/16:ののわっ!(fukuya氏)
VRLお疲れ様でした!&私的レポ:壺の中の裏庭(キリキ氏)
三日目の感想をジャラジャラと:すごろく迷走格納庫 (調整中)(Vinegar56%氏)
向日葵娘とそのプロデューサーに惜しみない称賛を:めぐりあいクロニクル(胡桃坂氏)
2012年12月23日VRLつばめPのプロデュース:ただの倉庫(cha73氏)
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これだけ皆さんが書いていらっしゃるなら、もういいかなとも思ったんですが、もういいかなと思ったらちょっとスッキリして
書けそうな気もしてきたのでやってみましょう。
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つばめPによる「向日葵娘」のプロデュース姿勢は、「信」の一言に尽きるというのが、私の考え。
それはアイドルマスターというコンテンツに対してであり、ニコマスというカルチャーに対してであり、そして何より
高槻やよいという存在に対する、信の心。
「信」とはそもそも、他者に対する誓約を守る姿勢の意味であり、また宗教においては、その教えに対して疑いを持たない、
真っ直ぐな意識を保つ事。心理的な言葉ではなく、実際に現れる行動に対する言葉です。
今回のVRLでまとめられた、つばめPのプロデュース活動の道程。それは私から見れば、巡礼の旅そのもので。
自分が出逢った少女と、その少女にまつわる過去の教えに対する畏敬。そして、やよいという存在を理解し、彼女との
約束を守ろうとする行動。
その結果、何が起こったか。
神成(しんせい)、という言葉があります。かみなりさんじゃないですよ。神学用語のひとつ。
神の子であるキリストは、神が創造の際に「そうであれ」と意図した人間そのもの、「真なる人」として誕生した姿であり、
この状態は「完全に神であり完全に人である」。
人は日々の信仰によって、この「完全に神であり完全に人である」キリスト、真なる人に近づくことができるとされ、
その行為(状態ではない)を「神成」と呼びます。
人が神という存在に変化するわけではなく、その人本来の姿に成る事が神に成る事だ、という考え方です。
アイドルマスター2 やよい スマイル体操

アイドルマスター2において、やよいと全賞制覇を為し得る事で現れる一年後。それは、やよいが765プロ全員をプロデュースし、
しかもそれが成功しているという、とんでもない状況です。
それは、アイドルマスター2の世界で失われた「アイドル神」を体現していると言ってもいい。
つばめPは言いました「高槻やよいは太陽である。」
太陽は古来より信仰の対象であり、神性そのもの。占星術においては芸能人―特にアイドルなど―を支配する星。
つばめPの「信」の道は、やよいの「真」なる姿を目覚めさせ「神」へと至った。
これは一人の少女である「高槻やよい」が「スマイル体操」という神託を体現するまでの過程であり、つばめPは彼女の使徒として、それを伝えた。
VRLの30分は、そういうことなのだと、私は解釈しました。
その信仰が正解かどうか、というのは重要ではありません。大切なのは、つばめPが「そうである」「それを伝える事ができる」
と疑いなく信じている、という事。それこそが尊いのだと、私は思います。
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「神成」は到達点ではなく、あくまで日常の中での信仰によって積み重ねられていくもの。
つばめPは「スマイル体操」の発表によって、一年後という「現在」に立ちました。これからの日々の内から放たれる
太陽の光に期待しています。