どっかに君の姿を

また夜が明ければお別れ:すごろく格納庫(中)
Vinegar56% 氏

それにしても、この動画の千早は、なんて自然でこわばりのない、いい表情をするのだろう。
テキストというものは、つねに一瞬間にひとつのことしか説明できないもので、アニメMADもまた、アニメが提示したストーリーという固定的なものから自由であることは難しい。けれども、踊る素材としての3Dの彼女たちは、歌と踊りと絵を結びつけるアイマスMADは、ある瞬間を表現したものでありながら、そこに、踊り手がそこに至るまでの過程も、抱いている意志も、その瞳に映っている景色も、その先にある未来も、すべて表すことができる。


どんな物語を、どのような旅を経て、「四季ノ唄」の千早は、こんな風に歌い踊るようになったのだろうか。また夜が来るたびに、ここにいる千早のことを思い返したい。


以前、Vinegar56%氏と「アイマスのダンスMADから『PV』というタグが減りつつある」という現象について話したことがありました。
少し前であれば、アイマスのゲーム素材を用いたMADを説明するのに『PV』という呼称で何の問題もなかったのだよなあ、と、
そんなことを思いつつ、私はひとつの動画を思い浮かべていました。
この記事を読んで、紹介するのが静止画主体のMADというのも、我ながらおかしな話ですが、
人の記憶、思い入れというのはそういうものなのでしょう。



【千早誕生祭2014】One more time, One more chance【立ち絵PV】

作:ジョンQP


ままならないこと、やるせない想いが増えていっても、
どうか「好き」という気持ちが、何度も色褪せず思い返せるもので在り続けますように。